2007年10月09日

池田勇人の闘病生活の後

病気回復後は日立製作所への就職が決まったが、1934年に大蔵省に復職。本省の主税局に戻ります。

その後、主税局経理課長、主税局国税課長、東京財務局長を経て、主税局長と終戦を迎えました。

主税局長に留まり、1947年2月、第1次吉田茂内閣(石橋湛山蔵相)で事務次官となります。

第4次内閣では通商産業大臣となるが、中小企業についての失言をめぐり、不信任決議が提出されました。

その後、自由党政調会長として復帰。後継総裁公選では石橋湛山を推し、石橋総裁を実現したのです。

1957年7月の内閣改造で一度は内閣を離れるが、1958年6月の第2次岸内閣では無任所の国務相として入閣しました。
posted by mako at 07:25 | 日記
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